「熊野寮で電子化した話」というタイトルでLTした

bit-valley.jp

先日BIT VALLEY 2018というイベントがあり、そのAFTER PARTY(懇親会)で「熊野寮で電子化した話」というタイトルでLTをした。

これがその時のスライド。

内容としては、手作業の塊みたいな地獄のタスクがあり、これをWebアプリ化して担当者の仕事量を削減したという話。

LTをやったのは僕の他にも2人いて、うち1人とはうっかり内容が被ってしまうところだった*1

LTなので5分という制約があり、また会場の客層もよくわからなかったため、あまり詳細な話はしなかった。この記事でもっと詳しく書こうと思う。

(LT自体は結構うまくいったと感じていて、笑いも2つ3つとれたので満足している)

作ったWebアプリケーションの説明

スライドにだいたい書いた。ここではスライドに書いていないことを補足する。

このアプリの主な機能は以下である:

  • シフト提出をする
  • シフト提出を一定時間ごとにメールで催促する
  • シフトを作成する
  • 作成したシフトをメールで通知する
  • 各寮生の仕事回数をカウントする

今回も Ruby on Rails をつかった*2。また、サーバーとしてはConoHaを採用した。*3*4。コードはgithubで管理しているが、デプロイ情報が載っているので公開はしない。デプロイはtravis ciとcapistranoを使っている。capistrano初めて使ったわ。自動デプロイ便利だね。

仕事を電子化するということ

熊野寮は50年も前からある組織だ。50年前はスマートフォンなど存在しないので、紙とペンと人力に頼った手続きで仕事が行われていた。その手続きが50年間引き継がれ、未だに人力で仕事が行われている。Japanese Traditional Big Companyも真っ青なアナログさである。スライドで紹介した「シフト組み」という仕事は、まさにこの”アナログな仕事”の一例だ。

アナログな仕事には良い面もある。原始的なので誰でも理解できるし、「人はスマートフォンを持っている」という仮定を置かなくても良い*5。 一方で、こういう仕事のやり方は非効率的で担当者の負担も大きい。人間の労働力に大きく依存するので、人間のやる気がなくなったときに適切に仕事が執り行われなくなる。

そういう問題意識から今回発表したようなWebアプリケーションを作った。結果として、実際に担当者の仕事が減って喜ばれている。しかし、都合の良い事ばかりではない。というのも、このWebアプリケーションをメンテナンスできるのは現時点で僕しかいないのである。障害が起こったら僕が直すしか無いし、修正や機能追加が必要になったら僕がやるしか無い。今までシフト組み担当者が抱えていたタスクを、代わりに僕が抱えるようになっただけと見ることもできる。

とはいえこちらの仕事は人力の仕事とは違って、一度労力を払ってしまえば以降は同じ苦労はしなくて済む。長い目で見れば仕事の量は減っていると信じたい。

仕事回数が可視化された話

また、人間の仕事量が減ったことで、以前ではできなかったことができるようになった。それは、「誰が何回シフトに入ったのか」をシフトを組んだ瞬間にカウントするということである。

大前提として、熊野寮での仕事は無給である*6*7。従って、仕事を平等に負担するということが重要になってくる。

では、仕事を平等に負担させるにはどうすればよいだろうか?まずは、仕事の偏りを明らかにする必要がある。つまり、「Aさんはもう10回もシフトに入っているが、Bさんはまだ1回しかシフトに入っていない」という情報をひねり出す必要がある*8。 アナログ時代は、年度末にシフトの紙をかき集めて、誰が何回仕事をしたのかを手作業で集計していた。 そして、仕事回数が少ない人間には圧力をかけて、もっと仕事をするように要請していた*9

このやり方には問題がある。年度末にならないと仕事の偏り具合がわからないのである。このため偏りの是正は後手に回ることになる。最悪なケースとしては、仕事を全くせずに2月ぐらいに退寮していくカス面の皮が厚い人間などもいる。

電子化したことで仕事回数が即座にカウントされるようになった。これにより、回数が少ない人間に対して先手を打って圧力をかけることが可能になった。では、回数の偏りは実際に是正されたのか?電子化してからまだ半年しか経っていないのでまだなんとも言えないが、現時点ではそれほど大きな偏りは見られない。これに関してはまた別の機会に考察できたらと思う。

引き継ぎの問題

昨年の CAMPHOR- Advent Calendar にも似たような話を書いた。

dawn.hateblo.jp

このときはシフト組みではなく、カーシェアリングサービスを電子化した話を書いたのだが、印象的なブコメがあった。

熊野寮でコードを書いて感謝された話 - さんちゃのblog

いい話だけど、次のステップとして運用できる人を育てて引き継げるようにしないとずっと一人でメンテする羽目になるので頑張って。

2017/12/02 20:30
b.hatena.ne.jp

このコメントは正しい。現状、これらのサービスのメンテナンスができるのは自分しかおらず、それなりに大きな負担になっている。さらに、私が大学を卒業したあとにメンテナンスをする人間の目処は未だに立っていない*10*11

しかし、これに関して私が思うのは、「自分がいなくなったあとにそれを維持できないから」という理由で電子化を諦めるのは正しくないということだ*12。自分が作ったアプリケーションが真に有用であって、絶対に使い続けたいと寮生が思ったのであれば、外注したりプログラミングを勉強したりすることでメンテナンスを続けることは可能である。そのような手段が取れない場合は、以前のアナログな仕組みにフォールバックすればいいだけだ。アナログな手段は理解しやすく誰にでも実行可能なので、フォールバックするのは簡単だ。

むしろ、そのような心理的障壁があることで改善が進まないことこそが問題である。

@_6v_ の自動化アプリと連携したい話

他のLTと内容が被りそうになったと冒頭に書いた。 シバニャン(@_6v_)は私とは異なるアプローチでシフト組みを自動化しようとしている。

詳しくはそちらのスライドを参照していただきたいのだが、要約すると、私がシフトを 集める というところに焦点を当てているのに対し、シバニャンはシフトを 組む というところに焦点を当てている。

私の作ったアプリケーションでは、シフトを提出させるというところまでは自動化がされているが、誰をどのシフトに割り当てるのかを決めるのは人間である*13。一方でシバニャンは、シフトを集めるところは外部の予定調整サイトに任せ、その情報を集約してシフトを組むところを自動化している。

この2つのアプローチは、協調することによってより便利になると私は考えている。シバニャンにはシフト組み"AI"のソースコードを共有してもらっている(感謝!)。これを私のアプリケーションにも組み込むことで、更に作業を減らすことができるはずだ*14。やる気が出次第取り組みたい。

まとめ

BIT VALLEY 2018 AFTER PARTY でLTをした。LTの内容は熊野寮にWebアプリを導入した話である。熊野寮で自動化/電子化を行う際には考えるべきことがいろいろあり、心理的な障壁もある。しかし、最悪なのは仕事の改善をしないということであり、寮生は電子化に限らず仕事の改善を積極的に行ってほしい*15。また、私の他にも仕事の自動化を試みる寮生はおり、彼ら彼女らと協力してよりよい熊野寮をやっていきたい。

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dawn.hateblo.jp

*1:被せたわけではなく、被りそうになったことがわかったのは当日だった

*2:こいついっつもレールズ書いてんな

*3:別にGMOステマというわけではない。

*4:オタクなのでかわいい女の子の絵があると使いたくなってしまう。

*5:2018年の現在においても、スマートフォンを持たない大学生というのは、ごく少数ながら存在しているのだ!

*6:これは学生の仕事が無給ということであって、寮で働く大人の人達にはちゃんと給料が払われている。念の為。

*7:すべての仕事に給与をつけて、財源として寮費を上げれば良いのではないかという議論も当然存在するが、それは本稿の担当範囲ではない。

*8:ここにはもう一つ、仕事の負担を「回数」でカウントしてよいのかという議論がある。事務室当番1回と食器洗い当番1回は、本当に等価な労働量なのだろうか?

*9:このあたりの具体的な話は居住するフロアによってやり方が異なっている。熊野寮自治寮だが、その中にも「フロア自治」があるのだ。

*10:もちろんプログラマ無しで完結するように頑張ってはいるが、プログラマなしで完結するようにするのにも工数がかかり...

*11:熊野寮ならプログラミング人材が沢山いそうという旨のブコメもあったがそれは幻想である。熊野寮においてはプログラミングができる学生は貴重な存在だ。

*12:これは電子化に限った話ではなく、新しい制度や組織の創設にも言えることだ。

*13:とはいえブラウザに表示されたチェックボックスをポチポチするだけなので、そこまで重労働というわけではない。

*14:もちろん私のWebアプリのソースコードもシバニャンに共有している

*15:とはいえこういう話は全部無給なので、一歩間違うと五輪ボランティアと同様の問題を抱えることになる。実際、一部の人間の仕事のしすぎ(させられすぎ)が問題として取り上げられることは多い。